こんにちは、最近マンガ「東京大学物語」にはまっているほしみみです。
私は東大卒なのですが、卒業して6年以上たつ今でもよくいろんな人から聞かれる質問についてお答えします。
- 東大に入るのにどれくらい勉強したの?
- やっぱり子供の時から勉強できたの?
- 子供の時はどんな子供だったの?
ざっくり答えると、
とっても変な、
勉強ができない子供だった私が、
頭がおかしくなるまで勉強したら東大に入れた!
といった感じです。
私の誕生~幼稚園【変人の誕生】
私は大阪のある夫婦の2女として誕生しました。
私はめちゃくちゃ変わった子供だったそうです。
母親と保育園の先生の連絡帳を見ると、私の変な行動がたくさん見受けられます。
①トイレは庭でする
②将来の夢はハト
③その後将来の夢はペンギンに変わる
母親は、私が何か変な行動をとるたびに「ちゃんとしなさい!」と叱っていたそうです。
しかし、それを見た祖母が
その祖母の一言がきっかけで、私はノビノビと変人のまま育っていきました。
↓ほしみみ3歳の誕生日会(音声とともにお楽しみください)
私の小学校時代【勉強が大嫌い】
小学校は大阪の私立に通っていました。
その私立小学校の教育方針は「小学生は勉強しなくていいから、いっぱい遊ぼう!」といった感じだったので、小学校で勉強はほとんどしたことはありません。
社会の授業=日本昔話を見る時間。
理科の授業=学校の横の山に登って、川遊びをしたり農作業をする時間でした。
宿題をするかしないかは個人の自由とされ、宿題の最後のページには必ず下記のチェック欄がついていました。
- すべてやった
- とちゅうまでがんばった
- したくなかったからしなかった
そんな私の小学校時代の頭の中は、いつもポケモンや一輪車、得意の皿回しでいっぱいでした。
母親が「これではこの子の将来がまずい」と思ったらしく、小学校4年の時に近所の塾の入塾試験を受けさせられました。
しかし、不合格。
不合格だったのですが、塾側の手違いなどがあって結局入塾できることになりました。
そんなわけで入った塾では、いつも私が最低点。
結果、私は塾のメンバーから「ザココ(ザコの子という意味)」と呼ばれいじめられていました。
それでも勉強が嫌いな私は、いつも塾の宿題は答えを写していただけでした。
私の中学時代【敵は姉?】
中学校は小学校に付属していた私立中学校にエスカレーター式に入学しました。
私には1歳年上の姉がいます。
姉も同じ中学にいたのですが、姉は中学に入ってから頭角を現し、常に勉強・運動ともに学年TOPでした。
そんな姉と私を比べ、母親は「姉はできるけど、妹はね。。。」とよく言っていました。
それが、どうしても気に入らなかったんです。
私も勉強したらいいの?
勉強したら姉に勝てるの?
お母さんはそうしたらほめてくれるの??
そう思った私は勉強を始めました。
勉強を始めたと言えども、テスト前は頑張ったものの、それ以外はあまり勉強をしませんでした。
姉に、学校の定期テストの傾向を教えてもらったりもして、その結果定期テストでは学年で5番前後にまでなれました。
そして、高校受験では学区内トップの公立の特進コースへ合格することができました。
その彼氏は結局家庭の事情などで違う高校へ行ってしまったのですが。。。
私の高校時代【東大受験の発端はドラゴン桜】
私は高校3年間、特に高校3年の1年間では頭がおかしくなるほど勉強しました。
高校1年生:ドラゴン桜に感化される
頑張って入学した学区内トップ公立高校特進コースでの、私のはじめの定期試験の成績は80人中60番。
先生からは「このままだとあなたが希望している大阪大学は難しい」と言われました。
そんな時に、たまたまテレビでドラマ「ドラゴン桜」がやっていたのです。
このドラマは落ちこぼれ高校生に勉強をさせて、東大へ入学させるというドラマ。
正直ありえない内容なのですが、これを見て私は素直に「私も勉強しよー」と思ったのです。
私の高校は尋常じゃなく宿題が多く出されました。
1年の夏休みの宿題の量も、そう簡単にこなせられる量ではありませんでした。
その1年の夏休み、ドラゴン桜の影響もあり、私はひとまず宿題に出た数学の問題をすべて覚えて、解けるようになる努力をしてみました。
結果、夏休み明けの試験で数学だけですが、学年TOPを取ることができました。
そこで調子に乗った私は「勉強に時間をかければ、どの教科でも成績上がるんじゃない?」と思い、勉強を始めました。
しかし、当時は習い事のバレエに週5回各4時間通っており、それほど勉強に時間はさけませんでした。
高校2年生:彼氏ができて勉強頑張った結果、東大B判定
高校1年の冬に、同じ高校の、特進クラスではない普通クラス所属の彼氏ができました。
身長180cmくらいの、私の生涯彼氏の中でダントツ1位の男前でした。
彼が私に勉強で対抗心を燃やしはじめ、こう言ったんです。
えぇーーーー
普通クラスの男になんて負けたくない!!
こうして私の負けず嫌いに火がついて、私はさらに勉強をし始めました。
結果、彼には負けずに済みました。
そして高校2年の5月にはバレエの大きな発表会を終え、バレエの練習回数もそれ以降は週に1回程度へ減らしました。
勉強をする時間を増やしたかったからです。
勉強は、かけた時間の分だけ成績が上がっていくのが楽しく、このころには勉強が好きになっていました。
そんな高校2年の夏に、駿台模試を受けることになりました。
その模試では志望校欄を下記で記入しました。
第1志望:大阪大学
第2志望:京都大学
第3希望:東京大学
第2志望の京都大学はあわよくば、、、と思い記入しました。
第3希望の東京大学というのは、完全におふざけで記入しました。
結果は以下でした。
第1志望:大阪大学⇒A判定
第2志望:京都大学⇒A判定
第3希望:東京大学⇒B判定
こうしてこの日から私の志望校は東大になりました。
高校3年生:起きている時間はすべて勉強に費やした
高校2年の駿台模試結果は奇跡だったようで、その後どの模試を受けても東大はE判定しか出ませんでした。
しかし、私は東大と京大と阪大のキャンパスを見に行って、どうしても東大に入りたくなっていました。
そのため必死に勉強を始めました。
起きている時間ほぼすべて勉強に費やしました。
(ちょっとだけ恋愛もしてましたけどね)
- 7:00 起床(朝ごはんを食べながら参考書を読む)
- 7:20 学校へ向けて出発(歩きながら英語のリスニング)
- 7:40 学校へ向けて電車移動(参考書を読む)
- 8:10 学校到着
- 1~3限目 授業にでる
- 3限目が終わると早弁当
- 4限目 授業に出る
- 昼休み 図書室で勉強
- 5~8限目 授業に出る
- 放課後~18:00 学校の自習室で勉強
- 18:30~22:00 塾の自習室で勉強
- 22:30 帰宅&夕食(夕食を食べながら参考書を読む)
- 23:00 お風呂(参考書を読む)
- 24:00 就寝
運動祭の日も、運動場に参考書を持って行ってました。
体育の授業の前には、手の甲に”覚えられない英単語”をズラーっと書いて、体育の授業中にずっとそれを頭に叩き込んでいました。
今思えば私の当時の行動はちょっと行き過ぎているというか気持ち悪いですが、当時の私はそれだけ東大に入りたかったのでしょう。
しかし、これだけ勉強しても私の模試の成績は最も良い時で「東京大学:D判定」でした。
D判定にもかかわらず、高校3年の冬が過ぎても私は東大を目指し続けました。
センター試験前日には謎に涙が止まらなくなり、1日中泣き続けていました。
もう頭がおかしくなっていたのでしょう。
東大の試験当日も、もう色々わけがわからず、試験後は泣き続けていました。
疲れ切ったのか、東大の前期試験が終わった後、後期試験で大阪大学を受けることになるかもしれないにもかかわらず、私は全く勉強が手につかなくなりました。
そうして迎えた東大合格発表の日。
そこには私の受験番号がありました。
今でも受験の夢にうなされる
こうして私は東大に合格できました。
何もできなかった私が、東大に合格できたんです。
東大に合格したことはとても嬉しかったし、家族・親戚もとても喜んでくれました。
東大に通った結果、周りに尊敬ができる素晴らしい友達がたくさんできました。
私はこんな変わった子は今まで見たことがないわ。
一回、このまま育ててみたらどう?
面白いじゃない!